↓基壇の大きさは95m四方、この廟事体は57m四方。
高さは67m、(この写真には写っていないけど)
四隅のミナレット(塔)の高さは43m。
大きいのも納得・・・! タージ・マハルはマハル(宮殿)と呼ばれて
いますが、宮殿という意味ではなく。
ムガル帝国第5代皇帝 シャー・ジャハーンの
お妃様の称号「ムムターズ・マハル」が変化した
ものです。
皇帝シャー・ジャハーンが熱愛したお妃様
アルジュマンド・バースー・ベーガム
が亡くなったのは1631年。
その死を嘆き悲しんだ皇帝は、
ムガル帝国の国力を注いで
このタージ・マハルを建設したそうです。
世界各地から膨大な量の貴石
(大理石はラジャスターン地方産。
タージ・マハルを彩る碧玉はパンジャーブ地方から、
翡翠は遠く中国、トルコ石はチベット
ラピス・ラズリはアフガニスタン
サファイアはスリランカ、カーネリアンはアラビアから
持ち寄られたものだという。
全体で28種類もの宝石・鉱石がはめ込まれているそうです)
や職人(ヨーロッパからも多くの宝石職人が呼び寄せられたため、
一部にはバロック建築の影響も指摘されている。)
が集められ、
22年といわれる歳月と天文学的な費用をかけて
(推定22兆円といわれています・・・。)
1653年に完成したと言われています。
マハルとはいえ、巨大なお墓なんですね。
↓廟の側面。この写真では伝わり
にくいのですが、繊細な彫刻が
たくさん施されていました。 それほどまでに皇帝に愛された王妃様というのは
一体どんな女性だったんでしょうか?w
もともと、インドにはお墓をつくるという習慣はないのに、
こんなにも巨大なお墓というか
愛の記念碑を
建てさせてしまうなんて!www
ある日、ムガール王朝第四代皇帝
ジャハーンギールの第三皇子フッラーム
(後のシャー・ジャハーン)は、
アグラ城で行われた宮廷バザールに参加した。
バザールをのんびり楽しむフッラームだったが、
ガラス玉を差し出してきた
ペルシアの美しい娘を見て固まった。
娘の名前はアルジュマンド・バーヌー。(後のムムターズ・マハル)
ふたりはこの瞬間、恋に落ちた。
フッラームは父の許可を得るとすぐにバーヌーと婚約した。
このときフッラーム15歳、バーヌー12歳。
5年後、ふたりは正式に結婚した。
(All Aboutより引用)
・・・なんちゅーか、早熟・・・?w
私が15の時って 何してたっけ????www
でも、ステキですねぇ・・・(゚ー゚*)
シャー・ジャハーンは側室をめとることもなく、
戦場にでさえ、彼女を連れていったそうです。
夫が、父帝ジャハーンギールや妃ヌール・ジャハーン
(ヌール・ジャハーンからみて、ムムターズ・マハルは
姪にあたります)と対立し、
各地への転戦や逃避行中でもこれに付き従い、
苦楽をともにしたと伝えられています。
ムムターズ・マハルは、とは「
宮廷の光」という意味だそうで、
なるほど、シャー・ジャハーンにとっての
光であったわけですね・・・w
しかしながら、1631年、シャー・ジャハーンのデカン遠征中、
遠征先で第14子を生んだあと36歳で産褥死してしまいました。
その死を大いに悲しんだシャー・ジャハーンは、
1週間誰とも会おうとせず、2年間も宴を催さなかったそうです。
シャー・ジャハーンはヤムナー河の対岸に、
黒大理石で自分の墓をつくり、
その両方を橋で結ぶ事を計画していたそうですが・・・。
最終的には、シャー・ジャハーンは、自分の息子に幽閉されて
そして亡くなってしまいます。
(その亡骸は、王妃の傍らで眠っています)
シャー・ジャハーンの思い描いていた黒いタージ・マハルは
どれ程美しかったことでしょう・・・。
そんな、王と王妃の物語と、
庭園の美しさにうっとりしながら、廟の方へむかっていきます。
ここからは 靴を脱いではだしであがります。
まずは、左手側のモスクへ。
お祈りの人がいたので、近くでの撮影はやめておいて、
モスクを彩る彫刻にレンズをむける。
日本人は、インド人からみれば、いいカモらしいけど、
他国からのツーリストからみれば信頼されているらしく。
しょっちゅう「写真を撮ってもらえませんか?」と頼まれる。
頼んできた中には、列車の中で出会った
ホセさんとマリーさんもいましたwww
思いがけない再会に喜びつつ、いよいよ白亜の廟へ・・・。
大理石に触れると、なめらかで、ひんやりしていて
白い美女の肌のようでなんだかなまめかしいカンジがしました。
ムムターズ・マハルもこんなカンジだったんでしょうか?www
ここでも象嵌細工やレリーフの一つ一つ、天井の彫刻
(天井にも立体的で細かな彫刻がなされていました)に感心しながら
シャッターを押しまくる・・・。
もはや
模様フェチ状態????www
それでは、タージ・マハル 彫刻コレクション?をお楽しみくださいwww
彫刻にひとしきり感心したあとは、いよいよ中へ。
ここからは写真撮影が禁止されているので、目に焼き付けておきます。
なかは薄暗くて、ひんやりしていました。
中央に祭壇のようなものと、そのなかに棺らしきものが2つならんでいました。
祭壇は、みごとな透かし彫り。棺は見事な象嵌細工でした。
天井からの薄明かりが透かし彫りを潜り抜けて
美しい光が漏れていました。
美しさにため息が出ます。
廟のなかの床の細工が、外のものとは違ったので写真を撮りたかったのですが・・・。
いくつかの部屋を通過するたびに、
透かし彫りの窓から見える景色が変わってとってもすばらしい。
もういちど、正面から廟を見るべく外へでます。
↓廟のほうから門を観る 外へ出ると、随分日が傾いてきた。
腰を下ろして景色を眺めたり、
レリーフに手を触れながら
別れを惜しむ。
そろそろ駅に戻らないと・・・。
後ろ髪を引かれながら、
来た時とは違う門から外へでることに。
緑の庭園がとても美しい。
何度も何度も振り返りながら、門をくぐる。
外へ出たときには、あたりは暗くなっていました。
リキシャーのおやぢを捕まえて、アーグラ・カント駅を目指す。
結構いいスピードを出してるなぁと思いきや・・・。
突然リキシャーがストップ!
何事かと思いきや、自転車のチェーンがのびてしまった。
路肩にリキシャーを停めて、何とか修理して。再び走り出す。
いい事もあれば、悪いこともあるのねぇ・・・w
これもカルマかしら?wwwww
しばらくすると、「ガッタン」とイヤな音がした・・・。
またか・・・。
今度はヤバいのかな?と思いながら様子をみる。
おやぢはそこら辺に落ちている石で、
チェーンではなく車輪のフレームのほうをガンガンと叩き始めた。
伸びたチェーンを直すのではなく、
車輪のほうを外へ開き気味にしてチェーンを調整していた。
・・・恐れ入る。
そしてリキシャーは 何事も無かったように駅についた。
一旦、駅の構内に入り、ミネラルウォーターとお菓子を買う。
今日も充実した1日だったなぁ・・・w
リタイヤリング・ルームに戻り、ベッドに横になる。
明日は4:00におきて、荷物をまとめ
早めにホームに向かい、6:00発の列車にのる。
デリーに戻ったら、日本に帰る日はもう、すぐなんだ・・・。
なんだかとても
淋しくなった・・・。
なんともいえない淋しさをカンジながら、眠りにおちました。
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